脚本・三谷幸喜の2025年10月期放送の注目ドラマ「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」は、1984年の渋谷を舞台とした青春群像劇です。
第1話の放送後、豪華キャストがキャスティングされているにもかかわらず、視聴者の評価は賛否入り混じっているようです。
放送開始前からSNSでも多くの注目を集めていた本作ですが、なぜ”つまらない”という意見が上がってしまっているのでしょうか。
本記事では、公式情報や視聴者からの声をもとに、「つまらない」と感じる点と、「面白さ」が光るポイントを探ってみようと思います。
・「もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう」がつまらない?
・ドラマの面白いところは?
もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろうドラマの注目pointとは?
引用:X
「もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう」は1984年の渋谷を舞台に、劇団や演劇志望の若者たちを描く群像劇。
脚本は三谷幸喜さん、主演は菅田将暉さんです。
制作情報によれば、三谷自身の若手時代の経験を反映させた“半自伝的要素”も組み込まれているとのこと。
演劇そのものを主題化することで、俳優・演出家・劇場などの舞台裏がドラマの核になる構成は、他の恋愛・青春ドラマとは一線を画す魅力があります。
まずは、ドラマ「もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう」の注目pointをおさらいし、ドラマが”つまらない”と言われる所以を掘り下げていきましょう。
時代設定と街づくりの美術
1984年当時の渋谷を再現するセットや美術が予告段階から話題になっており、昭和後期の服装、小物、街並みの質感が“ノスタルジー”と“リアリティ”を両立させています。
「八分坂」という架空の商店街も登場し、ストリップ小屋や商店街、アーケード街といった演劇的・都市的空間が交錯する世界観も印象的です。
キャスト・配役と人物設定
主演の菅田将暉は劇団演出家・久部三成を演じ、二階堂ふみ、神木隆之介、浜辺美波ら豪華キャストが脇を固めます。
例えば、浜辺美波は渋谷にある“八分神社”の巫女・江頭樹里役として出演。
また、脚本段階からキャラクター・ビジュアル撮影が意図されていたという裏話もプロデューサーから語られており、各人物の“顔”や“見た目”にも重きが置かれているようです。
音楽・主題歌との結びつき
本作の主題歌には、YOASOBIが書き下ろした「劇上」が起用されています。
これはドラマタイトルと演劇性を掛け合わせたテーマ性に沿った曲で、物語と音楽との融合による世界観構成が期待されています。
もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろうドラマはつまらない?
「もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう」を見た視聴者の反応は賛否が分かれているようです。
豪華キャストが揃っているにも関わらず、なぜドラマがつまらないと感じる視聴者がいたのでしょうか。
第1話の視聴率情報と合わせてみてみましょう。
ドラマ視聴率は低空スタート
10月1日に初回が放送されたドラマ「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」。
脚本を手がける三谷幸喜さんが民放のゴールデン・プライム帯連ドラを担当するのは実に25年ぶりとあって、放送前から大きな注目を集めていました。
しかし、期待とは裏腹に初回の世帯平均視聴率(関東地区)は5.4%と、やや厳しい滑り出しに。
主演の菅田将暉をはじめ、豪華キャストが揃い、フジテレビ側の力の入れようもうかがえますが、結果は芳しくありませんでした。
放送開始の22時時点では視聴率が5%台後半を記録していたものの、物語が進むにつれて数字は下降。
23時24分の終了時点では約4%まで落ち込み、途中離脱する視聴者が少なくなかったことがうかがえる結果となりました。
ドラマがつまらないと感じられる点
以下で、視聴者が途中離脱してしまった理由として考えられる理由についてまとめました。
演劇慣れしていない視聴者にとっての難度
「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」は、舞台演劇の裏側や劇団の人間模様を丁寧に描く作品です。
そのため、演劇特有の専門用語や、舞台裏での心理戦・演出家のこだわりといった要素が多く、普段から演劇に親しんでいない視聴者にとっては少々ハードルが高い印象を与えるかもしれません。
特に、会話のテンポや比喩表現が演劇的で、「何を象徴しているのか」が一見では理解しづらいという声も見受けられます。
ペースがゆったり・群像劇ゆえ散漫な印象
本作は複数の登場人物がそれぞれの思惑を抱えながら進行する群像劇。
登場人物が多く、シーンが短く入れ替わる構成のため、ストーリーの軸が分散して見えるとの意見もあります。
「テンポが遅い」「会話劇が続きすぎて展開が少ない」と感じた視聴者もおり、特に第1話では“誰が主役なのか分かりづらい”という指摘が多く見られました。
こうした構成は三谷幸喜作品の特徴でもありますが、テレビドラマとしてはやや地味に映る可能性があります。
過去作品との比較・期待値
三谷幸喜氏の名前が脚本としてクレジットされると、多くの視聴者は『古畑任三郎』『王様のレストラン』『総理と呼ばないで』といった伝説的ドラマの再来を期待します。
そのため、今回の作品が静かなトーンに仕上がっている点に、物足りなさを感じる層も存在します。
また、一部からは「かつての三谷作品にあった軽妙なテンポやウィットが控えめ」「群像劇としては完成度が高いが、視聴者の共感ポイントが掴みにくい」との意見も。
“期待値が高すぎた”ことが裏目に出た形とも言えるでしょう。
さらに、SNS上では「クドカン作品に似ている」「1980年代設定がピンとこない」といった声もあり、演出の時代感や作風の違いが“つまらない”と感じる一因になっている可能性があります。
もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろうドラマの面白さが光る点も多数!
「もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう」には、視聴していて面白い!と感じ入る点も多数存在します。
ドラマの好みが分かれてしまうのは仕方のないことですが、まだ1話しか放送されていない為(2025/10.6現在)、今後の展開にも注目していきたい作品ともいえます。
では、以下でドラマ「もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう」の面白さが光る点について解説していきます。
人生と演劇を重ねる設計
タイトルそのものが問いを含む本作は、「この世=舞台」「人々=役者」「舞台裏=楽屋」という比喩を作品全体に張り巡らせています。
劇場という限られた舞台装置を軸に、現実(街)と虚構(上演)が交錯する構造。
これは青春物語を越えて「人生とは演じることか/誰の前で本音を見せるのか」を考えさせられ、面白さに繋がっていくのではないでしょうか。
青春の痛みと笑いが両立する
登場人物は夢に燃える若者から舞台の老練者まで幅広く、嫉妬や挫折、憧れや裏切りといった感情が縦横に交差します。
群像劇として各キャラにスポットを当てることで、小さな感情の機微(勝負前の緊張や楽屋での虚勢、舞台上の覚醒など)が丁寧に描かれ、視聴者は「一人の大きなドラマ」ではなく「複数の等身大の人生」を同時に味わえます。
制作側も「登場人物それぞれの人生を同時に描く」と明言しており、感情の振れ幅こそが本作の面白い点です。
1984年渋谷の空気を映像で再現
1984年の渋谷(架空の「八分坂」を含む)が物語の舞台。
巨大オープンセットや街並みの美術、服飾・小物の細部に至るまで時代考証を施し、ノスタルジーと雑多さを両立させた映像美が目を引きます。
そのため、画としての楽しさ、空気感の説得力が作品の魅力を増幅し、映像の細部(ネオン、ジャズ喫茶、案内所など)が物語のムード作りに直結しています。
キャストの演技と化学反応
主演・菅田将暉をはじめ、二階堂ふみ、神木隆之介、浜辺美波ら実力派が揃い、個性の強い人物群をどう料理するかが見どころです。
豪華キャストによる「掛け合い」や「化学反応」が、群像の散漫さを抑えつつ各シーンに面白さを加えていきます。
報道でも主要キャストの起用と「三谷ワールド全開」との評価があり、演技力で物語の説得力を支える構図とのことです。
音楽・演劇的仕掛け
劇中での上演シーンや舞台音響、効果音の使い方、そして選曲(主題歌や劇中曲)が物語のテンポを作っていくのも面白いポイントです。
演劇的な瞬間と映像的な編集を同期させることで作品の深みを増していきます。
好みは分かれるが“見る価値”は確か!
「もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう」は演劇的比喩や群像ストーリーの構成が生む見どころが多く、群像劇の味わいを楽しめる視聴者には強く刺さる面白い作品といえるでしょう。
一方で、演劇慣れしていない層や“軸のはっきりした物語”を好む層には難しい面もあるようです。
それでも、時代再現の美術、俳優陣の演技は、本作の「面白さ」として確実に機能しているとおもいます。
もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろうドラマ放送後のSNSの実際の反応は?
では、実際にドラマ「もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう」の放送後、どのような声がSNSで上がっているのか見てみましょう。
※以下の投稿内容はX(旧ツイッター)から引用したものです。
否定的な評価
ドラマ「もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう」に寄せられた”つまらない”と感じた視聴者の投稿は以下の通りです。

「もしもこの世が舞台なら、 楽屋はどこにあるのだろう」は超豪華キャストだが、内容はつまらない物だった。 三谷幸喜ほどの脚本家が“潮時”を誤用するので驚いた。

一言でいって、見ていて苦痛なドラマだった。 最初からつまらなそうな予感はしてたが、本当につまらなくて、30分で断念した。 ドラマ中にテロップで人物紹介するドラマ、つまらないことが多い気がする。 出演者豪華、それだけ。

キャスト神なのに、死ぬほどつまらない、、、 久しぶりに菅田将暉ドラマで見れたのに、なんかもったいない感じしてしまう

「昭和59年」「東京・渋谷」「シェイクスピア」「三谷幸喜」このフィルターからこぼれ落ちた人たちが「つまらない」「わからない」とゴネているだけなのだろう。
ドラマ「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」は、超豪華キャストながら賛否が真っ二つに分かれる作品となりました。
まさに、理解力と感性が試される群像劇と言えるでしょう。
肯定的な評価
ドラマ「もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう」に寄せられた”面白い”と感じた視聴者の投稿は以下の通りです。

たまにある1話からめっちゃ面白いドラマやん!!ひょうろくもいい味出してます!!

いろいろ言われているみたいだが、わたしはめっちゃ面白いというか好き。芝居愛にあふれている。というかあの役で二階堂ふみが観られただけでそれで充分。

ここ数年で一番面白い。変な題材で、先が読めない、いや読めるけど、わくわく感がある。毎週見ます。こういうのが見たいんだよ、

一言で面白いとか言えることじゃないんですけど、すごく面白かった。感動というかこれが、三谷幸喜か、、、みたいな演劇素人だけど、なんかちょっと通ずる物があってすごくワクワクさせられた

もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう、コレは面白い。音楽の使い方が好き。今期はこのドラマを見よう。

なんか評判良くないようだけど、かなり面白かった。最近の三谷幸喜はかなりズレてきてる気がしてますが、今後に期待できる面白さだったなぁ。もう小池栄子さん出てるだけで面白い…
SNSでは、演劇の世界観や先の読めない展開にワクワクするとの感想も多くありました。
音楽や演出の工夫も評価されており、三谷幸喜らしい独特のユーモアと深みが光るドラマとして、ファンの期待に応えていることが伺えます。
もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろうドラマがつまらない?面白いところは?まとめ
この記事では、新ドラマ「もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう」はつまらないのか、面白いと言われている点についてもまとめて解説してきました。
視聴者がつまらないと感じている主な理由としては、「会話が難解」「テンポが悪い」「30分で離脱した」との声が相次ぎ、三谷幸喜作品としての期待が裏切られたとの意見も見受けられました。
ドラマが面白いと感じている視聴者の主な声としては、豪華キャストに対する演技への好評や演劇の世界観や先の読めない展開にワクワクするとの感想も。
音楽や演出の工夫も評価されており、三谷幸喜らしい独特のユーモアと深みが光るドラマとなっています。
上記のように、ドラマ「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」は、超豪華キャストながら賛否が真っ二つに分かれる作品となりました。
しかし、ドラマはまだまだ序盤です。
脚本・三谷幸喜さんの”半自伝的”ということもあり、魅力もたっぷりな作品ですので、今後の展開に期待してもよいのではないかと思います。