海に眠るダイヤモンド朝子が知らない理由なぜ?百合子との確執を徹底考察!

ドラマ
記事内に広告が含まれています。

「海に眠るダイヤモンド」は、登場人物たちの複雑な人間関係が描かれたドラマです。

特に、登場人物の朝子と百合子の関係性には、深く重い確執がありました。

ドラマの第4話で明らかになった、2人の過去。

朝子だけは知らないその過去の出来事に、様々な憶測を呼び起こしました。

今回は、朝子と百合子の間に横たわる確執に焦点を当て、百合子の過去や、朝子が知らない理由について考察していきます。

 

海に眠るダイヤモンド朝子が知らない事は何?

こちらでは、第4話のネタバレを含みますのでご注意ください。

二人の確執を語るうえで、4話の物語の展開を振り返ってみましょう。

百合子の運命を変えた日

場面は1958年7月の端島です。

映画館の仕事を辞めて、労働組合の新聞編集者として仕事に意欲的だった百合子(土屋太鳳さん)でした。

長い間、体調を崩していた百合子の母親である寿美子(山本未來さん)の容態が悪化しました。

百合子の家族の運命を変えてしまった、1945年8月9日の出来事を思い出していました。

百合子の母親はキリスト教の信者でした。

母と姉と百合子の3人で長崎の浦上を訪れては、教会でお祈りをしていました。

幼い百合子はその教会でのお祈りを退屈に思っていました。

運命の日である1945年8月9日も、三人で長崎に向かおうとしていました。百合子は母親から隠れて島に留まろうとしました。

百合子を探している母親に、百合子はここに居るよ声を出してしまったのが、幼い朝子だったのです。

そして、長崎に訪れた百合子と、姉、母親は被爆したのです。

姉はそのときに亡くなり、母親は白血病を患いました。

 

朝子が知らない事

子どもだった百合子がその日、本土に行きたくなくて隠れていたが、朝子が百合子の母にそのことを教えてしまった事を恐らく幼い朝子は知りません。

単純に隠れん坊をしていた感覚だったのでしょう。

朝子が無邪気にも、百合子の居場所を教えたことで、一緒に長崎に行かざるえなくなった事を分かっていたのは、朝子より2歳年上の鉄平と賢将達だけでした。

朝子が知らない理由は?

長崎で被爆した事を、幼い朝子に伝えられる内容ではない事を知っていた、鉄平と賢将は沈黙を貫いていました。

百合子もまた、姉を亡くした辛さから立ち直れず、母親の看病で心も体も疲れ切っていたのでした。

そのまま、被爆した事を封印するかのように、誰も語らなくなったのでした。

幼い朝子は、大人になった後でもこの話を聞く事は無かったのでしょう。

 

海に眠るダイヤモンド朝子と百合子の確執を徹底考察!

「海に眠るダイヤモンド」の序盤では、百合子が朝子を何度も困らせるような場面がありました。

百合子と朝子の間に合った確執について、詳しく見ていきます。

百合子の葛藤

今回、焦点を当てたこの記事の内容は、表面的には百合子だけの問題に見えます。

あの日、長崎に原爆が投下されたために、失われてしまった家族の命。そして、母の被爆。

何もかもが、あの日を堺に壊れて行ってしまいました。

やり場のない怒り、幸せだった平穏な日々に戻りたくても戻れない、そんなもどかしさの中で幸せそうに食堂で働く朝子に対して、百合子は嫉妬や妬みの気持ちが湧いてきてしまったのです。

百合子はそんな気持ちで、朝子に接してはいけないと思いながら複雑な葛藤の中にいました。

妬みだと思っていた朝子への意地悪に隠れていた百合子の戦争に対する怒りだったのです。

この百合子の気持ちは、戦争を通して同じ経験をした全ての人たちの怒りに見えてなりません。

 

母との別れ

端島に台風が来ても、家から逃げずにお祈りをしていた母親を受け入れることは出来なかった百合子。

被爆した母親は白血病が悪化し、帰らぬ人となってしまいました。

やり場のない百合子の気持ち

自分の本当の気持ちを、誰に向けて話せばいいか悩む百合子でした。

和尚を訪れた百合子は、心の内を話し始めたのです。

「父も母も信徒の人たちもみんな、浦上は選ばれたって言うの。

爆弾は小倉に落とすはずで、視界が悪かったから長崎に、浦上になった。

それは神が聖なる地を選んだからで、苦難は信徒に与えられた試練。

そんなの変よ。傲慢だわ。七万人が死んだのよ。

キリスト教徒はその中の八千五百人。他の人たちはおまけ?

爆弾を落とした人たちも、同じ神を信じてた。神の御加護を。

そう言って出撃したって。私見たわ。呻きながら歩く人たち。あの中に私もいた。

私もそうなる。いつか。」

戦争は終わったと言う和尚の言葉に対して、「戦争は終わっていない」と答える百合子の姿は戦争によって失った人々の命の訴えそのものでした。

あの日、長崎の空に舞った光は、街を焼き尽くし、人々の未来を奪いました。

幼い子供たちの笑顔、家族の温かい絆、そして夢に向かって輝いていた若者たちの希望。すべてが一瞬にして消え去り、残されたのは深い悲しみと絶望だけでした。

百合子はたった一人で、その悲しみと絶望に立ち向かっていたのです。

やり場のない百合子の気持ちが、幼かった朝子に対する”意地悪”として表れていたのでした。

 

「奇跡は人が起こす」

母親との別れを受け入れた百合子は、自分の犯していた今までの”罪”について振り返りました。

朝子にしていた、今までの意地悪を償おうとしたのです。朝子に盆踊りに来てほしいと誘うのでした。

1958年の盆踊りの日、朝子に浴衣を着付けながら、百合子は「心から謝りたい」「あなたに許されたい」「あなたに許されなくても、わたしは許すわ」と長年のわだかまりを解いてくれました。

まさに百合子が言っていた「奇跡は人が起こす。」

戦争を起こすのも人、それに立ち向かって行くのもまた人の強い心だと捉えられるセリフでした。

 

海に眠るダイヤモンド朝子が知らない事は何?百合子との確執を徹底考察!のまとめ

「海に眠るダイヤモンド」で描かれた、朝子と百合子の確執について考察してみました。

そこには、戦争によって失われてしまった尊い命、今もなお続く目に見えない戦争と戦っている人たちの心の訴えだと言う事が考察できます。